人生②

高校に入ると、当たり前のことですがいろんな中学からいろんな人たちが集まってきました。

しかも私の通っていた高校は総合学科なのでより個性的な人たちが集まったのかもしれません。

私が何故、総合学科の学校を選んだのかというと、単に勉強(特に数学)が嫌いだったからです。

1年生のカリキュラムは9割方決められていて、2年生になるとそれは半分にまで減り、3年生になるとほぼすべての教科を自分で決めることができます。

私はとにかく勉強がしたくなかったので、ギター、油絵、陶芸など芸術分野に特化した教科ばかり選択していました。

心理学やディベート演習などの授業も受けていましたが、どれも自分にとってはすごく楽しいものでした。

お話を読む、文字を書くのは小学生の頃から好きで得意だったので、現国や古典の授業も進んで受けるようにしました。

総合学科は、私のような勉強をしたくない生徒にとってはこの上なく幸せな学校であったと思います。

 

私は高校生の時、はじめてアルバイトを始めることになります。

部活は軽音楽部に所属していたのですが、そこまでかっちり決められた練習はなかったので、アルバイトに精を出していました。

私が最初にしたアルバイトは地元のコンビニでした。

土地柄的なものもあって、そのコンビニに来る人たちはだいたいいつも決まっていました。

そこがその頃の私にとってはとてもありがたく、そしてどのお客様も優しくしてくださった記憶があります。

 

接客業を経験した私は、掛け持ちでアルバイトをしよう!という気になりました。

そして次に選んだアルバイト先は、高校生にしては異例のアパレル店でした。

アパレル店といっても地元の商店街にあるお店だったのでそこまでイケイケ・バリバリな感じはなかったものの、面接に制服で行った私をよく採用してくれたなぁと今でも思います。

そこでは「接客」の深さを叩き込まれることになります。

商店街の一角のお店とはいえ、天王寺や京橋にもチェーン展開しているアパレル店。

それまでの私が使う「敬語」がどれだけ甘いものだったのかを思い知らされます。

そして初めて経験する「立ちながら服を畳む」ということ。

これは基本中の基本ですが、慣れるまでに時間がかかりました。

業務に慣れてくると、ミシンを教わるようになります。

ミシンは長らく触っていなかったので、糸のかけかたからすべて教わりました。

ここで教わったことはすごく多かったので、閉店するまでの3年半で自分が書き溜めたメモ帳はすごい量になっていました。

社内販促も頻繁に行われ、負けん気が強かった私は何とかランキングに入ってやる!と意気込んで熱心に販促物を販売していたので、いつでも上位に入っていました。

目に見える成果は私をやる気にさせてくれましたし、名前が載った時のあのウキウキ感は今でも忘れずに心のなかにあります。

 

コンビニの業務形態が変わり、店が変わることになったのでコンビニは2年で辞め、代わりに居酒屋のアルバイトを始めました。

ここでもかなりのことを教わりました。

アパレル店とはまた違う「接客」の形。

私は最初こそ戸惑いましたが、それにもだんだんと慣れていきました。

ここで学んだ接客とは、「かたくなりすぎないこと」。

お酒を飲んでいるお客様はかなりいい気持ちになっていて、ふだんとは違う顔を見せる方も多いです。

そんなお客様にすました顔でキリッと接客するよりも、同じようにゲラゲラ笑い、相槌を打ち、楽しい話に乗ってあげる。

その方がお客様も喜んでくれるし、これもひとつの接客の形なのだと知ることができました。

そして学校では決して教わらないことも学びました。

瓶ビールをつぐときはラベルを上にする、乾杯するとき目上の人のグラスより自分のグラスを上に持っていってはならない……ほかにもいろいろなことを教わりました。

人に恵まれていたので楽しく2年半働くことができました。